ハンナ・アレントを知ったきっかけ
あの林修先生も読んだことから知る
その出会いは、あるTV番組で林修先生がハンナ・アレントについて語ったことから始まった。ハンナ・アレントは1906年にドイツのユダヤ人家庭に生まれる。ドイツのユダヤ人と聞けば誰しもが知っているヒトラーによるドイツ人大虐殺だ。そんなユダヤ人家庭に生まれた彼女は何とか生きながらえ女性政治思想家になった。
時は第二次大戦が集結し、ドイツ国内でも戦争裁判が始まり戦争に加担した当時の独裁政治指導者が次々と裁判の席で裁かれていった。そんな時の裁判にかけられた有名な話を林修先生は口にした。それは俗に云うアイヒマン裁判である。
簡単にいえば当時のヒトラー政権化で親衛隊中将だったアドルフ・アイヒマン。彼の裁判がイスラエルで行われたのだ。裁判ではアイヒマンは自分は悪くない。上司からの指示に従っただけという発言。誰しもが戦争犯罪者として死刑を訴えていた中、ユダヤ人家庭で生きるか死ぬかの世界で何とか生き抜いてきたハンナは世間を驚かせた発言をした。彼は無実かもしれない。
誰しもが死刑!そしてユダヤ人家庭で育ったハンナも当然ながらアイヒマンは死刑!というものだと思っていた中、無実といったからだ。当時、ハンナは政治思想家でもあったのだが冷静に判断した結果の言葉だった。もしかしてアイヒマンは上司から指示された事をただ単にこなしていた、いち軍人だけであり、そこには自分の意思がなかったのではないか、ととなえたからだ。もちろんユダヤ人を初めて戦争により多くを失った民衆からは非難・恫喝などもありハンナを責めたてた。そんな事は事前よりわかっていたはずのハンナはなぜアイヒマンは無実かもしれないと言ったのか。そんな話を林修先生が番組中に解説した記憶が強くハンナ、アレント(ハンナ・アーレント)に強く惹かれ著書をよみたくなったのだ。
人間の条件
この本での、ハンナ・アラントはかなりマルクス(19世紀の哲学者)からの影響が伺える内容の本になっている。条件づけられた人間が環境に働きかける内発的な能力、すなわち「人間の条件」の最も基本的要素となる活動力は、《労働》《仕事》《活動》の三側面から考察することができる。ところが《労働》の優位のもと、《仕事》《活動》が人間的意味を失った近代以降、現代世界の危機が用意されることになったのである。こうした人間の条件の変貌は、遠くギリシャのポリスに源を発する公的領域の支配をもたらす。このように本書は、全体主義の現実的基盤となった大衆社会の思想的系譜を明らかにしようとした、アレントの主著のひとつのようですが私のダメダメな理解度では一度読んだだけでは到底理解は出来ない(^^;; 何度か読み直さなければ理解しない本というのは自分にとってレベルアップの機会でもあり本の価格以上の価値があると考えています。